落合徳子のつくりかた 「サードプレイスとしての音楽 4」
高校生の頃のお話です
amirisu株式会社
2021.12.18
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クラシックギターが流行ったキッカケは恐らく、映画「禁じられた遊び」の曲が日本でヒットしたお陰なのかと思うのですが、その流行りは私が小学高学年ぐらいには終わっており、その頃には入った時の賑わいはすっかり影を潜めていました。
今でも覚えているのが、クラシックギター界のスターだった山下和仁さんがまだ中学生の私に向かって「どうしてここには老人と子供しかいないんだろうね」と言ったこと。きっと和仁さんも急速に縮小していくギター業界を憂いていたのだと思います。
所属していたギター合奏団は基本的にはオーケストラの譜面をアレンジしたものを演奏するのですが、私は段々とそれが嘘のものを演奏しているようで嫌になり、自分も本当のオーケストラに参加してみたいという気持ちが強くなっていました。中学3年生の時に、九州ギターコンクールで1位なしの3位を取り、高校1年生の時に長崎県主催の若い芽のコンサートというものに出演し、大体やりきった!ということで、そこで自分のギター人生はお休みすることにしました。高校生に入ってから学校生活が上手くいくようになり、ギター学院が私のサードプレイスではなくなったのも大きな要因だったかもしれません。先生にはだいぶ勿体ないと渋って頂きましたが、私の練習量とやる気では、ここで辞めて正解だったと思っています。